卒業

卒業シーズンである。尾崎のこの支配からの卒業~ってあったなと思いだす
皆さんはいい先生(指導者)に出会えただろうか?

指導者と支配者は似て非なるもの.

厳格な2人の先生がいるとして、1人の先生の下では生徒が生き生きと部活をしているのに、もう1人の先生の下では生徒が生気を失っているとしたら、その違いかもしれない。

指導者は、他者と同じ目線に立ち導く者だと思う。他者を本質的に対等な人間として認め、その個性を尊重しながら、行くべき方向へむかわせる。、自分と同様に価値ある他者の幸せを求め、一緒に喜び合うことができる。

支配者は、他者の上に君臨し、抑え込む者。他者を本質的に自分よりも劣った存在であるとみなし、服従を求め、自分の都合よく動かそうとします。支配者が求めるのは,自分の満足.
指導者は、対等な人々の中における一つの役割、立場。
対等であっても導いていけることが指導者としての資質。

一方、支配者は、本人にそのつもりはないかもしれないが、対等であることを否定。
自分は特別だと思い上がれば、他者の苦しみに鈍感、自分の欲望のために、他者への要求が平気になっていく。

時にそれは色々な場面に見られる。職場においては上司、部下。
サークル活動の先輩、後輩。家庭においてさえも。

どんな場面において誰しもが支配者になりうる。
人は誰であっても対等で大切な存在である。





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全然勇者じゃないヨシヒコの旅立ち

あんまりびびりだったから勇者になれ!!っつう願いをこめてのヨシヒコ。。
2回目の譲渡会は少しほんの少し堂々としていました。
もうすでに私にはごろごろでしたが、初めてのところではどっきどきだろうなあ・・・。
ベッドにもぐりこんでくる夜の勇者ではあったなあ・・・
やめなさいっっつうの!!)
なかなか、禿げが耳だけ治らなくて長きにわたり隔離生活を強いられ。
酷い猫風邪の影響で目から涙がでることが多く、寒い日は眼のふちが真っ赤に
左目の涙目はしつこくぶりかえす
目薬は6本は自腹をきりました。目薬3本持たせお婿入りです。
先住さんがメスでしたから、すんなりとはいかないかもしれないんですけど。
ヨシヒコは猫を愛し~猫に愛されるオトコでした。。。
飼い主さんも、ヨシヒコも先住さんも幸せじゃなかったらいかんから、無理せんでねって言って、お戻し全然大丈夫です!!て。。

ヨシヒコの温度がまだ胸にあって、いろんな思いが溢れてきて、泣きそうになったけど。
みんなの優しい笑顔に包まれて、びびるヨシヒコに、大丈夫って強がって帰ってきました。
しゃれにならない位幸せになってね。ずっと祈ってるから
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私でよかったのだろうか?

調子がわるくなると、エイズの猫さんとの残された時間はもうあまりないかもしれないと思い。
それでも、いっぱい食べた日、まだまだやっぱり大丈夫だって思ったり。

彼女の調子は波があり、それも低いところの、いい、悪いだ。

毎日、お刺身や牛肉の赤身や、ささみをゆでたり、好きなパウチがあればケースで買っても、すぐに残すようになりあまりたべなくなる。パンのやわらかい部分にバターをつけてあげてみたり最初だけは食べたけれど、今はあまり食べれない。
毎日あれやこれやと試行錯誤で時間が足りない。

もう随分前からトイレは使えなくなり、平らな場所や寝床でやるようになり、今はトイレは撤去してシートにした。

拭いても拭いても、身体はきれいにならない。
足や手やしっぽを洗っても1日でだめになってしまって。それでも綺麗にしてやりたくてあったかいタオルで拭いて。
彼女の姿を見るたび、やっぱり胸にくるものがある。



痒いのか、毛を口ではぎとっていく。寝床は1日に何度も変えるようになってよだれとおしっこはお薬の匂い。
部屋中匂いが健康なそれとはちがう。病気の猫の匂いがする。薬をやめてみたり、そうしたらもっとひどいことになったり、抗生剤にしたら下痢になって、結局ステロイドがいいのか。薬入りのチュールを残すようになってしまった。


もう無理な治療や延命はしたくない、食べれるだけ飲めるだけ。
変形してしまっている真っ赤な痛い口の中に強制給餌はしたくない。
あったかくしてきれいな寝床となるべくいっしょにいてやりたいと思う。

たとえば最初から彼女を飼っていたら元気なかわいい頃を思い、今の過酷な姿に耐えきれないかもと思う。
それとも、毎日なんとかしてくれと病院へ行き治療をし現実を受け入れられず、あがいているだろうか?

私でよかったのだ。。。

きっと。


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ありがとう

有難う とは有ることが難しいと書く。
たとえば誰かが自分のことを想って何か声をかけてくれることは、なんと嬉しいことだろうか?と思う。
人は本来、自分の欲望のために行動することが自然で、誰かのために行動するということは不自然である。
とはいっても、人として、おはよう、さようならという挨拶、子供のころから言うように躾されていて当たり前になっている。
当たり前だと思うから何とも思えなくなっていくのではないかと思う。
本来人のために何かをするということは難しいことである。
誰かが自分に声をかけてくれる 笑いかけてくれるということはなんと嬉しいことなのであろうか
ましてやだれかと一緒に何かをやるとか、何かをしてもらうなどということは、なんと有ることが難しいことかと思う。
当たり前が当たり前だとおもわずに、生きていきたい。
日々感謝してます。私に声をかけてくれてありがとう。
知り合ってくれてありがとう。助けてくれてありがとう。頼ってくれてありがとう。励ましてくれてありがとう。
一緒に喜んでくれてありがとう。メールくれてありがとう。
ここにきてくれてありがとう
心からそう思う。

まるちゃんです。
彼女はまだ家族の愛を知らない
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2/12 譲渡会~

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